『太陽を盗んだ男』長谷川和彦監督

1979

原子力爆弾や、天皇といったsensitiveなテーマの作品であるため、タブー視される向きも大きく、長らく観ることが困難だった時期が続いたそうですが、DVDで普通に観られる時代に感謝です。
長谷川和彦監督の演出は、フランスのヌーヴェルヴァーグを彷彿とさせるような、自由で行き当たりばったりの、映画という形式そのものにも囚われないような軽やかさ、若々しさを醸し出しながら、社会や人間の矛盾の奥深くを見つめる孤独な視線を常に秘めており、非常に老成したような素晴らしい作風です。
俳優陣も非常に豪華で、画面の華々しさを堪能しました。特に池上季実子さんが非常に綺麗で、美しく、素敵な雰囲気でした。少し舌足らずな親しみのあるラジオDJの役回り、暑い季節に透明のラヂオ・ブースの中で汗ばんで、爽やかに微笑む姿が、可憐で美しかったです。
何かを抱えているとでも云いたげだが、実際にはとても小さな哲学の中で生きざるを得ない菅原文太さんと、池上希美子さんとのカットバック。
落下するビルを支えようとする沢田研二さんと、池上希実子さんとのカットバック。
菅原文太さんも、沢田研二さんも、成熟した大人の男性なわけですが、この二人の素晴らしい俳優の弱さを画面に匂わせるのは、やはり池上季実子さんの素晴らしい存在感、心の深さ、視線の強さによるものだと思います。
二人とも池上季実子さんと交互に撮ると、あくまでも虚無から虚無へと渡り歩く虚ろな、小規模な、子供っぽい存在でしかなくなってしまう。
優しい女性を前にして、男性は非常に弱く観える。
池上季実子さんが醸し出す、女性らしい大きな諦め、抱擁感、優しさと比べると、この二人の男が持つカルマのようなものは、実に野暮ったい代物でしかなく、「風に吹かれれば飛ぶ枯れ木」としての、からっぽの密度しか持ち得ない。そういう男の悲しいところが、非常に、よく撮れています。
長谷川監督の凄いところは、そういうことを語ろうとせずに、ただ二人を撮るだけで、そういうことを自然に描いているところだと思います。まっすぐに男女を捕らえるカメラの切り返しだけで涙を誘う監督の手腕に、言葉を喪いました。
小生、彼女の出演作は本作と大林宣彦監督の、小生が非常に好きなカルト作品『ハウス』のたった2作しか(多分)まだ観ていないかと存じますが、もう、完全にファンになってしまいました。
映画オタクの小生は、ジーン・アーサー、スーザン・サランドン、ナタリー・ポートマン、ダイアン・キートン、グレイス・ケーリー、アンナ・カリーナ、常盤貴子さん、島崎遥香さん、シャンタル・ゴヤなどのファンですが、また一人、好きな女優が増えてしまいました(^^;)

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