ジャン=ポール・ベルモンドが逝去されました

映画

とても残念ですが、ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』や、『気狂いピエロ』などに出演されている名優ジャン=ポール・ベルモンドが、逝去されました。

『気狂いピエロ』に於いて南仏の流木うちあがるセンチメントな海辺で「私の運命線こんなに短いわ」と迫ってくるアンナ・カリーナを、「あなたの体の美しいライン」を執拗に褒めて、はぐらかすシーンが、小生のお気に入りのシーンです。ジャン・ポール・ベルモンドが相手だから、アンナ・カリーナも満更でもなさそうだけども、小生なんかが微笑んで同じことをやったら、流木で撲殺されてしまいます。

『勝手にしやがれ』は、スーツ姿に酷く丈の短いネクタイがカッコ良かったです。ラウール・クタールの荒々しいカメラと、ジーン・セバーグの軽やかな魅力と、モーツァルトの調べ・・・落ちている新聞紙でさっと靴を履き、女の待つアパートに駆け上がるシーンがとても好きでした。その時のゴダールとラウール・クタールの縦のカメラの演出と、「語り急ぐ」ような気迫が、めちゃくちゃカッコいいんですね。映画の終盤でジーン・セバークとジャン・ポール・ベルモンドが、部屋の中をぐるぐる回っているのですが、そのシーンの焦燥感とか行き場のなさ、それから有名なクライマックスで、最後に言葉を交わすのですが、監督や俳優の強い孤独感のようなものに、若い頃に深く共感しました。

『気狂いピエロ』では、ランボーの詩や南仏の青い海の映像やゴッホの絵画のイメージとともに、一秒ごとに逸脱してゆくジャン=ポール・ベルモンドの凄みは、鬼気迫るものがありました。あの映画のジャン=ポール・ベルモンドの、一人で生きる視線の寂しさと、その心境を追うゴダールのカメラは、この社会の空虚な在り方にあ馴染めずに、居場所がないということの虚無感と孤独を寒々しいほどに描いており、いつの時代も、若者たちの心を強く打つものだと思います。

いつだったか益田勝実さんの「フダラク渡りの人々」(講談社学術文庫「火山列島の思想」に収録)という文章を読み、昔、日本の最も熱心な仏教徒たちが、食糧をもたずに小舟に乗り込んで南の海の「補陀落」へ向かってゆき、その途中で成仏するという衝撃的な故事を拝読し、なんだか『気狂いピエロ』みたいな話だなと思ったのですが、やはりこの映画は小生にとっては死の体験そのものだったと思います。南仏の青い海、ランボーの詩、アンナ・カリーナの瞳・・・

自分で自分の頭に爆竹をぐるぐる巻きつける瞬間の気持ちが、当時、若かった小生にはよく判りました。ジャン=ポール・ベルモンドや、ジャン=リュック・ゴダール監督と同じ時代に生きて、彼らの美しい映画に出会えて、とても幸福でした。

稀代の名優のご冥福をお祈り致します。

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