ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠の名品

2004

今回はエリック・ロメール監督の2004年のフランス映画”Triple Agent”を鑑賞しました。

1920年3月21日にTulleに生まれたエリック・ロメール監督は、1960年代にJean-Luc Godard監督やフランソワ・トリュフォー監督らとともに、フランス映画に革命的な、新しい映画のスタイルを齎した、ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる、当時の革命的運動の中心的人物となった監督の一人です。

それまでの映画界を覆っていた旧弊を糾弾し、新しいスタイルで「自分たちの映画」を撮ろうとした彼らの美意識と、その斬新で美しい映画の数々は、当時の映画界に強い衝撃を与えました。その衝撃は映画界に起こったビッグバンみたいなもので、それから半世紀の時を経ても衰えることはなく、今日に至ります。彼らの世代の映画人が成し遂げた仕事の熱量はあまりにも巨大ですから、彼らよりあとの世代の人々の映画人で、間接的であれ、直接的であれ彼らの影響を全く受けていない人は、ひとりもいないと云っても過言ではありません。

エリック・ロメールは、ヌーヴェル・ヴァーグの中心的人物であったゴダールやトリュフォーほど世間的に有名な映画監督ではないのかもしれないけれど、しっかりと素晴らしい作品を多く遺しています。中でも小生が個人的に最も好きな作品は1986年の”Le Rayon vert“(邦題:緑の光線)という作品です。ドストエフスキーの文学などをしみじみと愛読しながら、ひっそりと暮らしている孤独な女性が、だれかと話してもどこか噛み合わず、うまく馴染めずに、街中をぼんやりと放浪した後で、最後に海を眺める・・・何もないような、ただそれだけのストーリーの、地味な映画なのですが、エリック・ロメール監督の繊細な、人間の心の在り処を誰よりも上手く見つけてくれるような、優しい、頼もしい視線が、じつに生き生きと活写されており、小味ながら素晴らしい作品になっています。

本作”Triple Agent”は、先の大戦下でロシア出身の男がパリに紛れ込み表向きである組織の政治活動における自身の関わりを周囲にアピールしながら、裏では別の組織と繋がっているという物語で、彼の正体を全く知らない妻の視点がメインの作品になっています。原作もあり、実在の事件から着想を得た作品です。

パリの街角の柔らかい光の中に、長回しのカメラの会話を中心に紡がれるゆったりとしたテンポの中に、仄かに切ない瞬間が、じわりと広がってゆく、エリック・ロメール監督の燻銀の演出が楽しめる作品になっています。

実在するニュース映像のロールを挿入しながら進むため、ドキュメンタリーとフィクションを交錯させながら人々の運命を紡ぐなかで、大きな運命の渦中に、語られない小さな無数の物語が広がっていたことの悲しさと、その確かさが心に迫ります。

派手さのない、抑えられた確かな演出は、例えば不意に画面の中の二人の言葉が重なる瞬間のハッとするような息遣い一つに、監督の、人間への優しく、大切な想いが積もっていて、小手先だけの拙速な断定や煩わしい騒音には目もくれず、人間の魂の静かな深みへと柔らかな光を投げかけてゆきます。

皆さんも機会があれば、是非ご覧になってみてください。

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