クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』を再見しました。この作品は、『北国の帝王』、『リヴァティ・バランスを撃った男』、『スケアクロウ』、『イージー・ライダー』、『俺たちに明日はない』など、その強い自我と夢の大きさ故に、既存の社会のシステムから外れざるを得なかった逸れ者たちを扱ったアメリカ映画の系譜に入る、立派で美しい作品です。
この映画の良いところは、間延びしたリズムが独特な演出、ヒッチコック監督のような奥ゆかしさが皆無な監督本人のカメオ出演、映画の冒頭と最終を繋げるという斬新な時間軸の設定による見新しさなどといった、よく取り沙汰される要素の魅力もさることながら、何よりも先ずその作品としてのスケールの巨大さにあると思います。
タランティーノ監督が、一般的な基準の中では碌に生きられないことを悟り、逸脱の旅路にだけ憧れを燃やしながら、結局そういう人々のために、心を籠めて作った美しい作品でした。今回、二十年ほどぶりに見たが、あまりによくて泣いてしまいました。
だるい、間延びした会話や、妙に現実感がない紋切り型のクラブや下町、裏路地、変態が集うギター・ショップ、場末のモーテル、ブルース・ウィリスがまたがるチョッパーなどのデティールが、一見なにげなく集まったように見えても、だんだんと映画の必然に収斂されてゆく様が、ほんとうに見事でした。
私が特に好きなシーンは、(1)ユマ・サーマンが頼んだ5ドルのシェイクの味を試させてくれとジョン・トラボルタが云うシーン(2)トマトがケチャップになる(Catch Up)と掛けた冗談。(3)それから片付け屋がコーヒーを頼むとき、「ミルクと砂糖たっぷり」と頼むシーンです。これから遺体を片付けようと云うのに、コーヒーの味を尋ねるカメオ出演のタランティーノに笑ってしまいました。
なにもかもが逸れてバラバラになったこの世界の悲しみと、その逸脱の渦中にある悲しい現代人の心を、しっかりと掬いとることによって時代に名を刻んだ名品だったと思います。また、何年か経ったら再見したい作品のひとつです。
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