今回は根岸吉太郎監督の1983年の作品『探偵物語』を拝見しました。根岸吉太郎監督はポルノ映画出身の監督で、その場の空気感や間合い、言葉にならない人々の心を画面上に表現することが巧い名匠だと思います。
本作の主演は松田優作さんと薬師丸ひろ子さんで、松田優作さんのブラウンのスーツと同色のネクタイ(剣先が三角ではなく、四角になっている、モダンなデザイン)がカッコ良すぎて、失神しそうになりました。松田優作さんのスーツのズボンの少し余裕があってダブついているのに、ルーズさを少しも纏わない感じが、死ぬほどカッコ良かったです。薬師丸ひろ子さんのホワイトベースの柄物のワンピースも非常によく似合っていて可愛かったです。
お二人が逗子の薄汚い交番で取り調べを受けているシーンでは、小生不覚にも、ちょっと泣きそうになりました。逗子というのは、小生が棲んでいる横浜から電車ですぐに行けるところでして、まあ一度か二度は行ったことがありますが、そういう自分の生活と僅かに繋がりがあるところで、こういう美しい映画がかつて撮られていると思うと、少々、大袈裟な表現を用いますと画面に流れている空気を、いつまでも慈しんでいたいような気持ちになりました。それで別に涙を誘うような場面ではないですが、こういう華のあるお二人がやりとりをしているのを眺めているだけで、なんだかとても幸せな、すべて救われたような気持ちになって参りました。
そのあとに田舎のボロボロの電車の中をよろよろと歩いているお二人をまっすぐに捉えたカメラの望遠ショットの美しさもなんとも筆舌に尽くし難く、荷風ふうの表現を用いますと「命が伸びるような」ワンショットでした。
執事のおばさんのコメディ・リリーフ的な役回りや、いかにも育ちが良いお嬢様が、頻繁に閉じられた門戸や窓を通って移動を繰り返す、そんなちょっと少女趣味的な上品な脚本回しは、原作の赤川次郎さんならではの余裕と洒落っ気がありました。じつは小生は、陰キャの卵みたいな中学生の時分に、赤川次郎さんにどハマりしていて、中学生のうちに「三毛猫ホームズ」のシリーズをたぶん全巻、読破したかと存じます。ですから赤川次郎さんの文章は、小生にとって、はんぶん故郷(ふるさと)みたいなものなのですね。
この映画全体が小生にとってひどく懐かしく感じられたのは、おそらく映画全体を包む赤川次郎さん原作の、ちょっと大人っぽい雰囲気に依るものなのではないかと思います。千葉、名古屋、横浜と幼少期〜少年時代に家を転々とした小生は、何処にいても余所者のような気分を強いられてきたために、心から懐かしいと感じられる土地は、世界中どこを探してもひとつもないけれど、こうして誰かが作った物語の雰囲気の中に、強い懐かしさを感じられるのは、不幸中の幸いと申しましょうか。帰るべき土地はなくとも、帰るべき物語は在るということは、いま思えばとても幸せなことなのかもしれません。
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