Taxi Driver

1976

主人公トラヴィスの(設定上の)年齢よりも遥かに若い17歳前後で一度見たときは銃撃の練習シーンが孤独で良かったなという程度の印象でしたが、それよりも遥かに年老いてから再見して、本作はニューヨークの街角に人々の孤独な心象風景を重ねた一種の風景詩のようなものだなと感じいるところがあって、よく戦争による狂気を描いたものだとか、あの有名なシーンは妄想だとか現実だとか、そう云ったところが取り沙汰される作品ですが、流れる血と同じくらいの情感でコーラの缶や、道端から迸る消火栓の水飛沫のような風景が丹念に描かれるところにこの作品の凄みがあって、若い頃に思っていたのとは別の意味で凄い作品だなという感想を持ちました。
なんと云うか確かに凄い作品なのだけど、世間で議論されている主人公の精神病理みたいなところには、もちろん意味はあるけれど、暴走や孤独、歪んだ、理不尽な正義感と云ったところは、あくまでも作品の幾つもの素晴らしい側面のうちの一つに過ぎず、この作品のいちばんの魅力はやっぱり、コーラの缶や、路上の光ひとつひとつが、高らかに謳われる偽物のアメリカとは掛け離れていて、実際に薄汚い街を歩いている疲れた人々の視線に映るアメリカそのものの、飾りのない風景詩であったということなのだと思います。
本作を初めて観た若い頃は、ちょっと観念的すぎるかなという思いもあって、と云うのも当時の小生はゴダールとかアントニオーニとか、ジャック・リヴェットとか、ウディ・アレンのような、そうした映画作家が持っていた、個人的な語り口の作家にひどく傾倒しており、ある意味では視野の狭い、若い頃には誰にでもありがちなことですが、自分の思う映画の美意識以外は認めないというような偏狭な時期でもあったから、社会の病理を雄弁に謳い上げたように思える本作は、個人的にはそれほど強く印象に残る作品ではなかったけれど、今回、久々に再見して、自分が疲弊しながら生きもせず死にもせず過ごしてきた淀んだ時間の数々、若い頃は知らなかったこの社会の本当に嫌な部分が、しっかりと画面に投影されている本作の私的な佇まいを発見し、しみじみと好きになりました。
ロバート・デ・ニーロの不安な微笑と、何処かに憶えのある身勝手な正義感や安っぽい自意識を再見するにつき、しみじみと本作の魅力に取り込まれた次第です。本作のように世間でかなり評価されている作品でも、改めて見直すと、今回のように世間での評価とは少し違った、自分なりの角度からその作品を再発見できることもあって、そう云う意味では映画の魅力というものは、誰か(何か)によって規定されたりしないし、何かが定着したりもしないので、わけのわからないことを書く人も大勢いるけれどそう云う他人を一縷も気にせず、自分の眼で、地道に一本、一本観てゆくことが、大切なことなのかなと思います。喩え若い頃に観たことのある作品であっても、今回、年老いて見直すことで、より自由な感性で、本作の魅力に気づくことができて、良かったなと思っています。

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