趣味の短編小説 vol.1『つなぎ合わせ』

小説

すべて失敗することが確定した僕自身の余生の一切には興味がないけれど、語学と将棋にはまだ興味が残っていて、僕が死なない理由はまさにフランス語、韓国語、中国語、ドイツ語、英語など今、少しずつ勉強している言語と、将棋にあると言っても過言ではない。(ほんとうはポーカーにも興味があったけど、38歳のときに投資と仕事で取り返しのつかない大失敗をし、お金がなくなって、できなくなった)それからそれらに付随する文学や映画、本、ドラマなども、いちおうは興味の対象である。しかし若い頃とは違う。若い頃と違ってアルファヴィルから脱出したところで、愛の言葉は見つからないどころか、寧ろ脱出が不可能なことに、もう気づいてしまった。
若者の鋭敏な感性を失い、不完全な残滓ではあるけれども、それでもいちおう、これらの趣味があるから、僕は死なないということは明白であって、世間一般の人々の多くがそうであるように、余生に興味があるから死なないのではない。余生にはもう興味がないし、興味を回復する努力もしない。僕が死んでも誰も悲しまないし、僕の周囲の人間は、僕が死んだ方が寧ろ有益になることの方が多い。そうなっていないから、そうなることの想像ができないし、誰もそうは言わないけれど、いざ、そうなったら、あ、こっちの方が楽だったし簡単だったな、となることは、目に見えている。だから僕は自分や、他人の人生には、もう興味がない。
今がそうであっても未来はわからない、少しでも興味が持てるように努力すればいいとか、少しでも良くなるように頑張ればいいとか言う人もいるけれど、そういうオプティミズムは成功した人の発言なので、僕にはまったく参考にならない。人間がコンピューターであるとすれば、人間には二種類あり、オプティミズムをインストールできるものと、できないものがある。できない側の人間に、無理にオプティミズムをインストールしようとしても全く動かないばかりか最悪の場合、壊れてしまう。僕は実際のところ何度か試してみて、壊れてしまった。僕が尊敬する青山正明さんの文章には、そんな半分の人間にしか適用できない欠陥めいた甘言は一縷も書いていない。青山さんは、諦めて、あるがままを受け入るしかない、そうすれば今すべきことがわかると書いている。
彼は晩年、そうした足るを知るという仏教の影響を受けた思想に少し近づいたようだが、その先に至らずに死んでしまった。僕はこれから、青山さんにさえ辿り着けなかった境地を目指して余生を送るわけだが、残念ながら青山さんは、エキセントリックだった若い頃には何冊か著したものの、平穏な思想に向かった最晩年には一冊のまとまった著書もない。せめて青山さんが晩年に一冊でも書き残してくれれば、参考になってよかったけれど、わざわざ国会図書館に行ってコピーしてきた雑誌の切り抜きとか、当時の彼の友人で、今は失踪している人物が書いた文章を読んでその思想の片鱗を想像することはあっても、その深いところまでは到底理解できないのであった。そのことが、とても、もどかしい。青山さん、僕は今も、その断片ばかりをつなぎ合わせながら生きている。頭の中のパズルの断片は、いつまでたってもぼんやりとした虚像のままだ。
果たして、僕は、このまま青山さんの影を追い、すべてを諦めて神経を研ぎ澄ませる努力をした結果、いま為すべきことが見えて、その為すべきことというのが、青山さんと同じように40歳で終わりにしてしまうことなのか(予想終了確率30%)、それともその先に何か進むべき道が見えてくる(予想継続確率70%)のか、目下のところ、どっちになるのだろうか、僕にはまったくわからないけれど、それでも、こうした不完全な試行錯誤を経て、生きる理由として、自分や他人の人生というものを、選択肢からさっぱり外してしまったことで、僕は、ずいぶん楽になったとおもう。
もちろん、君が僕にレッドブルひとつと薄っぺらいハンバーガーをひとつ恵んでくれるなら、僕は君を生きる理由に入れてもいい。それも優先順位第一位のレーゾンデートルだ。つまり君が僕にレッドブルを恵んでくれるなら、君は僕にとってフランス語よりも大事な存在になるだろう。なぜなら僕はレッドブルが大好きだから。そんなことは、当たり前の話だ。
しかし残念ながら、君が僕の生きる理由になる時間というのは、ハンバーガーを食べ終えて、エナドリを飲み終わるまでの、ほんの短い間だけなのだ。飲み終えた瞬間、僕はもう、君の顔どころか名前も表情も、何ひとつとして覚えていないし、もしも君がもう一度僕に話しかけようものなら、僕は軽い薄ら笑いを浮かべた後で、次の土曜日の夜11時半から明け方3時までの間ドストエフスキーの『地下室の手記』を読み返すことになるだろう。君と喋った不快な記憶を消すという、ただそれだけの目的のために。陰惨な、心の奥の恫喝のような活字のパレードを追い飽きて、両目とも売れ残った梅干しのように、しょぼしょぼになった頃、ようやく僕は君への不快感から解放され、浅い眠りにつくことになるだろう。もちろん、寝る前に君にお休みと言ったりは、しない。何故なら、小蝿の顔に印象がないように、僕は君の顔を、もうぜんぜん覚えていないのだから。(了)

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