ジャン=リュック・ゴダール監督のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

映画

2022年9月13日、小生が大好きなフランスの映画監督の、ジャン=リュック・ゴダールが逝去されました。91歳。
1960年代にフランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェット、ジャン・ユスターシュらとともに、ジャン=リュック・ゴダール監督は、新世代のまったく新しい感覚の映画監督のひとりとして注目され、やがて彼らの革新的なムーヴメントはヌーヴェル・ヴァーグ(フランス語で「新しい波」という意味です)と称されるようになりました。
彼らの映画への姿勢や撮り方が、それまでのフランス映画と異なるところは、ともすれば権威主義的、教条主義的に陥りがちであった息苦しい、スタジオの埃の臭いが漂う映画ではなく、孤独な若者たち一人一人のための映画を、セットなどではなく街頭のロケで、時にはほとんど無許可で、警官の目を盗みながらパリの街角で、撮影を決行したということです。
ゴダールの作品は、それまでの映画にあった常識を打ち破るものばかりで、非常に斬新なものでしたが、ゴダールは、映画の歴史のないところにいきなり、その作品を新しく作り上げたわけではありません。ゴダール自身が、相当な映画マニアであり、彼が影響を受けた作品は、ハワード・ホークス、オーソン・ウェルズ、ジャン=ピエール・メルヴィル、ジャン・ルノワール、ジャン・コクトー、溝口健二など、多岐に渡ります。
つまりジャン=リュック・ゴダールの作品は、映画や人間の歴史を無視した独り善がりの革命ではなくて、映画の黎明期(20世紀初頭)をいきた人々が創り上げた美しい歴史をしっかりと踏まえたうえで、そのうえに自らのまったく新しいスタイルを確立した、20世紀中盤の映画の正統的な革命でした。だからこそ、世界中の映画ファンのあいだで、熱狂的に受け入れたのだと思います。
妥協を許さない彼の姿勢は、映画をもって何を語るとか語らないとか、そういった小賢しいことを徹底的に拒否し、一時期は、ベトナム戦争を発端とする政治・思想的な極度な緊張を自らの作品のなかに強いることで、非常に難解で哲学的な作品を撮影し、観客がほとんど寄りつかなくなったような時期もありました。
そのような自らの思想に徹底的でストイックな姿勢、自らの信念とともに常に変化してゆく様は、時として周囲の人間の、ゴダールにとっては妥協としか思えない姿勢に対して疑問を発することもあり、ヌーヴェル・ヴァーグの友人たちとのあいだにも軋轢を生じさせ、のちにフランソワ・トリュフォーとは、絶縁してしまいます。
しかしフランソワ・トリュフォーの死後、撮影した映画の中で、劇中でフランソワ・トリュフォーに語り掛けるシーンを撮るほど、ゴダールにとってヌーヴェル・ヴァーグの友人、とくに二人で最前線に立って、若き日の彼らに対して無理解と不寛容を示した世界と、共に闘ったフランソワ・トリュフォーに対する思いは並々ならぬものがあり、彼らの若い頃の友情と、時代全体の熱気は、永遠に色褪せないものです。
21世紀に入ってからもジャン=リュック・ゴダールは、『アワー・ミュージック』など、彼にしか絶対に撮れない希望に充ちた作品を撮っています。その作品のなかでは、ゴダールの若い頃の作品のような、寂しさ、侘しさ、孤独感のようなものは影を潜めていますが、何かすべてを優しく包み込むような大らかな視線のようなものが全編に充ちていて、人間を撮ることが映画であるし、その先にある、人間の心を撮りたいという、ゴダールの優しい心が伝わってきます。
小生が、最も好きなゴダールの作品は、やはり1960年代の作品です。1本だけ選ぶなら迷わず『はなればなれに』を選びます。映画の神様が齎した奇跡としか思えない『はなればなれに』は別格としても、『アルファヴィル』『女と男のいる舗道』『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』『男性・女性』『ウイークエンド』などなど、甲乙つけがたく、ぜんぶ大好きです。タイトルを読むだけで、ワクワクしてきます。また、もちろんそれ以降の作品の作品も、すべて好きで、『愛の世紀』と『アワー・ミュージック』が特に好きです。
これらの映画のタイトルを見るだけで、若い頃、これらの最高の映画を夢中になって何度も見た時代に、私の心のなかにあった孤独感とか、焦燥、寂しさ、恐怖、それらの感情のすべてをすべて掬い上げて、画面いっぱいに表現してくれたゴダールの映画と出会ったことを思い出して、胸が熱くなってきます。僕の悩みや虚無感に寄り添って、宇宙の果てまで一緒についてきてくれて、一緒に魂の旅程を歩んでくれた人。僕にとっての真の友人、僕が真に尊敬し、憧れ、愛した芸術家は、ジャン=リュック・ゴダールただ一人だったのかもしれないなと、今でも小生は思っています。
20歳頃のある日、僕はすべてがつまらなくて、すべてが億劫で、疲れ果てていました。20歳頃の若者というものは、誰しも、そういう感情に囚われるものでしょう。その日、渋谷の映画館で、『愛の世紀』がやっていたので、つまらない、退屈な気分のまま僕は、映画館の薄暗い席に座りました。映画がはじまった瞬間、なんでもないショットが続いたように思いますが、なぜか、涙が止まらなくなったのを憶えています。ジャン=リュック・ゴダール監督の、愛としか云いようがないなにかが、スクリーンの光とともに孤独な心いっぱいに充たされて、涙を流さざるを得ませんでした。わけもないスクリーンを見ただけで、疲れ果てた僕に、あんなに涙を溢れさせるほど、僕の魂の琴線にぴったりと寄り添ってくれる監督、それがジャン=リュック・ゴダール監督でした。
ジャン=リュック・ゴダール監督の『男性・女性』のなかで、「我々は、我々の言葉で、我々のことを語らなくてはならない」と、ジャン=ピエール・レオが話すシーンがあります。それから、『アルファヴィル』のクライマックスで、アンナ・カリーナが、大切な言葉を思い出しかけるシーンがあります。革命の記憶も薄れかけ、馬齢を重ねた小生には、いまだに、その言葉が、見つからないでいます。このまま、見つからないままに、年老いてゆくだろうか。それとも、いつの日か小生にも、たいせつな言葉が見つかるのだろうか。
ジャン=リュック・ゴダール監督のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
素晴らしい映画をありがとうございました。
ジャン=リュック・ゴダール監督と同じ時代に生きられて、ジャン=リュック・ゴダール監督の美しい映画に出会えて、小生は、ほんとうに幸せでした。

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