今だったらコンプライアンス云々で、存在することが許されない映画。丹波哲郎さんが、煙草を吸って大風呂敷を広げるさまが、なかなか渋い好演。久保菜穂子さんもミステリアスで、寡黙な雰囲気を漂わせながらも、細やかな表情で多くを伝える好演。話の筋はけっこう大雑把で、有名な監督の初期作品としては、キューブリック監督の現金に体を張れを拝見すると、既に空間や時間への畏怖というか、ただ時間が動いていることを恐ろしがる子供らしい鋭敏な感性のようなものが、垣間見えるように思える。あるいは清順監督の初期作品を見ると、一幅の運命的な静謐と色味に全てを感じさせてしまう奥ゆかしさが、異様な美学の発露として萌芽している。そうしたことを思い返しながら本作を見ると、既に、充たされない人間の生々しさが、頭に思い描いていた次の瞬間を遥かに凌駕して、その業故に、崩壊へ突き進んでゆくような虚しさが、深作監督のsignatureとして、既にフィルムに刻まれているように思えます。然し、ゴダール監督やトリュフォー監督、あるいは大林宣彦監督の初期作品のように、はじめから、だれがみても天才といった風格の神々しさはあまりなくて、面白さは、この頃から変わらないけれど、人間としてのスケールのおおきさみたいなものが、深作監督のばあいこの頃は上手く伝わり切れていなくて、この頃伝えたかったものも含めてすべてが結実した『バトル・ロワイヤル』は、ちょっと別格だと思っています。それはそれとして、こうした黎明期の作品も、深作ファンならぜひご覧になってみてください。。。
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