藤澤清造さん『根津権現裏』を読む

1922


昨年(2022年)2月に急逝された小説家 西村賢太さんは藤澤清造さんの独特の云い回しや書きぶりに、強い影響を受けていました。長らく主要作含めすべての著書が絶版になってしまい「忘れられた作家」だった藤澤清造さんについて、本書『根津権現裏』や短編集などを西村さんが芥川賞を受賞後、自ら企画され、各出版社にかけあって出版にこぎつけたという流れがあります。さらには西村さんの手による編纂で藤澤清造さんの全集を発刊する企図があったようですが、残念ですが西村さんは志半ばで急逝されました。
計り知れない心の闇や屈託を、戯画的なタッチを織り交ぜつつ軽妙に、しかし痛切に表現する西村さんの文体が、私はかなり好きだったのですが、今回はじめて接した藤澤清造さんの文章も、古さをまったく感じさせない、とても痛切で読み応えのある、鬼気迫るものでありました。
部屋で乾き切らずにぶらさがっている破れた衣服や、目的を果たせない外出や、最も近しく感じていた友人の心境さえ推し量ることのできなかった主人公の孤独感など、藤澤清造さんの飾りのない、しかし決して退屈させることのないリズミカルな文章は、とても心に染むものがありました。
若い頃に抱えていた(今でも、若い頃ほどではないにせよ、現在進行形で抱えていますが 笑)不安や虚無感、そうしたものが、じめじめした町の一角に投じた鮮やかな心象風景が、眼前に浮かび上がるような立派な筆致の作品でした。
藤澤清造さんは、心象や観念を云い含めるのではなく、その場にあるもので語ることに徹底して拘っていて、だからこそ本作は、さまざまなディティールにリアリティがあり、嘘偽りのない静謐な文学世界が広がっていて、疲れた私の心をひとつひとつ癒すものが暖かく広がっていました。
『根津権現裏』という霊験な、青白い孤独な夜を連想させるタイトルも、素晴らしいのひとことで、本書を無職の境遇で大阪の親戚の家に居候の身分で書き上げた藤澤さんの恐ろしい気概を、ひしひしと感じさせる美しいタイトルになっています。
西村さんがこの小説に「人生を棒に振るほど」ハマって、自分でも文学を志すようになった結果、芥川賞を取り、その著書が私のような浅学菲才の者の手にも渡り、そうしてその西村さんを、果たして、いかなる人が誑かしたのかと、私のような者でも興味を持って、こうして1922年の発刊から早百年も経ったタイミングで、本作を手に取ることができたのも、改めて云うまでもなく西村さんのお陰です。西村さんの功績に改めて感謝するとともに、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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