人権がないと云ったら契約解除された件

日記
  • 令和4年2月18日、気になるニュースを拝読しました。「170センチ以下の男性には人権がない」と云った女性プロゲーマーが、レッドブルから契約解除されました。
  • たぶん数週間から数ヶ月も経てば忘れられ、誰も話題にしなくなるようなニュースだと思いますが、個人的に思うところがあったので記しておきます。
  • 彼女は、身長170センチ以下の男性が嫌いなのでしょう。しかし、彼女は本当に、170センチ以下の男性に人権がないと思って云ったわけじゃなくて、背の低い男性は嫌いという云う意味を、強めて冗談半分で云っただけです。
  • だから彼女の発言、その過剰な冗談の表現を嫌うのは自由だけど、発言を糾したり、批判したり、謝罪を要求することは、ちょっと違うのではないかなと私は思いました。
  • 以下、私が大好きなボリス・ヴィアンの1947年の小説『L’Écume des jours』の冒頭を引いてみます。
  • 何もわざわざ言葉にしなくても、黙ってそれに従っていればいい、二つのことがあるだけだ。それは、きれいな女の子との恋愛だ。それとニューオリンズかデューク・エリントンの音楽だ。その他のものはみんな消えちまえばいい。なぜって、その他のものはみんな醜いからだ。

    ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」伊藤守男訳 早川書房

  • ボリス・ヴィアンは小説の文脈の中で、こういう強い表現を使っていますが、彼が本当に他のものはみんな醜いとか、みんな消えちまえばいいとか、そんなことを思ってこういうことを書いているのではないということは、彼の小説を読めば明かです。
  • 翻って、1999年の映画、サウスパークではウィンドウズのPCが遅いという理由で、ビル・ゲイツに瓜二つの人物が射殺されます。それを観て、「この映画の監督が、ビル・ゲイツを本当に射殺しようとしている」と思う人がいて、そういう人たちがこの映画を批判し、監督に謝罪を要求し、この映画の公開が中止になったら、そういう過激な表現は成り立たなくなります。
  • 今回、彼女は配信という環境で、「170センチ以下の男には人権がない」と云ったけれど、あくまでも冗談として発言したことは明かだと思います。だからその発言は、例えば政治家が議会の中で、「〇〇の人には人権がない」と発言するようなことと、同列で捉えられるべきものではないと思います。
  • こういう冗談でも、字義通りに受け取って批判する人々が大勢いるということ、その批判を受けてすぐに契約を解除する大企業に対して、私は寧ろ恐怖を抱いていて、ジョージ・オーウェルの1984のビッグブラザー的な過剰な監視社会の到来と、表現の自由の萎縮を懸念しています。
  • 今回の契約解除のニュースを拝読し、過剰な表現が許されない社会が行き過ぎると、やがて誰も何も発言できない社会になってしまうと思ったのは、私だけでしょうか。

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