ゲーム作家の飯野賢治さんの作品は、Console gameはDの食卓1本のみしか知らず、あとはi phoneで一時期Newtonicaで少し遊んでおった程度のライト・ユーザーなのですが、昔から私は、氏の人柄や雰囲気の大ファンでした。急逝される直前に、飯野さんがエヴァQを何度も映画館で観られていたことが、今でも印象に残っています。
当時、エヴァQの評価はそれほど高くなかったのですが、私は当時(今もですが)、友達0人のエヴァの熱狂的なファンでしたので映画館に駆け付けた大好きな作品で、カヲル君とシンジ君のやりとりの繊細さや、回転する宇宙船の映像の途方もないすばらしさに随喜の涙を流していたところだったので、飯野氏が「またエヴァQ観てきたよ(3回目)」みたいにtwitterに呟かれるのを拝読し、やっぱりわかるひとにはわかる作品なんだよななどと、飯野氏のような感性もないくせに、勝手に思っていた記憶があります。最近、新エヴァを見返しているのですが、飯野氏の逝去以来、そんな記憶があって、エヴァを観ると必ず飯野賢治さんを思い出してしまう私です。
ずっと読みたくて、今回、ようやく購入に至った本作、27歳の頃に語りおろされたご本人の自伝を拝読し、私の想像通り、非常に独特で、才気煥発な氏の風貌を存分に堪能させて頂きました。書き下ろしではなく聞き書きの一冊ではありますが、27歳で自伝を出版しようということが先ず常識人には考えられない発想ですし、氏の代表作であるエネミー・ゼロやDの食卓の制作現場の息遣いまで伝わってくるような緊迫感の溢れる一冊で、たいへん読み応えのある内容でした。
エネミー・ゼロはセガ・サターンでしか遊ぶことしかできず、2022年に本作1本のために中古のセガ・サターンを買ってくるほどの根性はない私ですが、子供の頃に遊んで、その独特な雰囲気が強く印象に残っているDの食卓については、昨年メルカリで中古で購入しましたPS3の後方互換で遊ぶことができるので、本書を読んでいる間、都内のブックオフを5店舗ほど回りましたが、1本も見つけることが叶いませんでした。そもそも、もうPSの棚が、1列か半列、多くて2列しかないのですね。
残念ながら90年代のゲームは数年前に較べ、格段に見つけにくくなっているようです。いつか必ず手に入れて再プレイしてみます。エネミー・ゼロも、プレイできるならプレイしてみたいのですが・・・。
ビートルズが好きだった飯野賢治さんは、ゲーム作りをバンド・サウンドに喩えています。村上春樹さんも、坂本龍一さんとの対談のなかで、執筆をバンド・サウンドに喩えていましたが、このお二人が自身の創作をバンド・サウンドに喩えられる理由は、お二人にとって創作というものが、自分の内側の世界を語ることのみに留まらず、創作しながら(執筆しながら/ゲームを作りながら)お二人が周囲の人間や世相の音を聞き、その音に合った音、ないしその音に対して反響する音、共振する音、共鳴する音を探すということに直結しているからだと思っています。
余談ですが私は趣味でギターの作詞・作曲を少々やっておりまして、ギター歴20年ほどですが、作詞・作曲のセンスはゼロですが、のみならず題名をつけるセンスもゼロで、曲をつくったあとで題名に頭を捻るとき、飯野賢治さんのようなセンスが私にあったらなといつも思います。と云いますのも、氏の「風のリグレット」というゲームの題名が私はほんとうに大好きで、ゲームじたいは遊んだことがないのですが、その大好きなタイトルだけが、ずっと頭に残っています。たぶん日本で作られたあらゆるジャンルの、あらゆる作品のなかで、吉行淳之介さんの「菓子祭」と並んで、この二つの題名が、私が最も好きな題名ということになると思います。
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