一つには読むべき本がたくさんあったし、たくさんの健康をもぎ取ることのできる、若い空気が息づいていた。僕は銀行や債券、投資商品についての本を1ダースばかり買い込み、それらの赤や黄金色の本は僕の書棚に造幣局で刷られたばかりの新しい貨幣のように並び、ミダス神やモルガンやマセナだけが知っていた輝かしい秘密を僕に解き明かすことを約束してくれた。それに僕には他のジャンルの本を読む高い意欲もあった。僕は学生時代にはどちらかと言うと文学に嵌りこんでいた ー ある年など僕は堅苦しくわかりきったような論文を「イエール・ニュース」に連載したこともあった ー そうして今になって僕はあれらの物事を自分の人生の中に取り戻して、あらゆるスペシャリストの中で最も使えない人種である、「視野の広い」男になろうとしていた。これはただの気の利いた警句ではないのだけれど ー 結局のところ人生というものは、たった一つの窓から眺めたほうが、より成功しているように見えるものだ。
僕が、北アメリカの中で最も奇妙なコミュニティの中にある家を借りることになったたのは、偶然の結果みたいなものだった。あのニューヨークの東側に細長く伸びている荒々しい土地の一部にあるこのエリアは、他のいくつかの地形的な特徴と相まって、2つの普通でない島の形を象っていた。街から20マイル離れたところに巨大な卵が2つあり、似たような2つの外郭は控えめな湾によってのみ隔たれており、北半球で最も家庭的な塩水を湛えたロング・アイランドの青い水面へ突き出していた。この2つは完全な卵形ではない ー コロンブスの卵の話に出てくるみたいに二つとも卵の端が潰れたような形をしている ー しかしこの2つの似通った体型は、頭上を飛ぶカモメたちにとっては、しつこく続く悩みの種になっていることだろう。翼を持たない者たちにとって、もっと興味深い現象は、この2つの卵の形と大きさ以外の全ての点が、全く異なっているというところである。
僕はウエスト・エッグに住んでいた、まあ、要するに2つのうちファッショナブルじゃない方に住んでいたわけだけど、この言葉はこの2つの卵の禍々しく奇妙な違いを、最も表面的に言い表したものである。僕の家は卵の最も先端に位置し、海から50ヤードしか離れておらず、1シーズンに12000ドルも15000ドルもかかりそうな、巨大な家々の間に挟まっていた。僕の家のすぐ右隣には、普通は想像もできないほど凄く大きな建物があった ー ノルマンディあたりの豪奢なホテルの模倣みたいな建物で、片側に塔があり、細い髭のような蔦が絡まっていて、大理石のプールがあり、40エーカー以上の広い芝生と庭園があった。これがギャツビーの邸宅だった。と言うよりも、当時の僕はギャツビーのことを知らなかったから、そういう名前の紳士によって保有されている邸宅だったと言うべきか。僕自身の家は目障りだったが、目障りと言っても小さかったから見逃されていて、海の眺めと、隣人の庭の一部の眺めと、百万長者の隣人であることの安心感を得た ー これらすべて込みで月々わずか80ドルしか掛からなかった。
F.スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』つぶあん訳0003
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